-
旭湯 惜しまれ77年の歴史に幕 川越唯一の銭湯 渋澤 百日々あれこれ地域の情報:川越・東上線2020年02月23日坂戸市・鶴ヶ島市・川越市・日高市の不動産売買はお任せ!モモホームブログです。
旭湯 惜しまれ77年の歴史に幕(川越市)
(東京新聞)川越市で唯一残っていた銭湯「旭湯」(同市元町)が二十日、常連客に惜しまれながら最後の営業を終え、七十七年の歴史に幕を閉じた。
経営者の中島彰夫さん(56)は「毎日来てくれたお客さんには申し訳ないが、持病もあって続けられなくなった」と理由を明かす。
昼前からモクモクと煙を上げ、町の目印になっていた煙突などの建物は取り壊され、貸店舗にするという。 (中里宏)
旭湯は戦時中の一九四三年、祖父・吉治さん(故人)が開業。「戦中、戦後は人が重なるように湯船に入っていたと祖父から聞いた」と中島さん。
専門学校に通っていた八二年、銭湯を廃業してアパートにする計画が持ち上がり、親族会議で中島さんが「俺が風呂屋を続けようか」と言ったところ、母・美代さん(故人)が「そうかい」と即答。二十歳の若さで、母と二人で銭湯を続けることになった。
「なんであんなこと言ったんだろう」と今でも不思議に思っている。「それから三十六年はあっという間に過ぎた」。
二〇一三年に美代さんが亡くなってからは午前九時からの燃料(パレット廃材)調達から午後十一時すぎの掃除終了まで、一人で続けてきた。
番台では、知らぬ者同士が世間話をする裸の社交場を見守ってきた。常連客でも決して名前を聞いたりしなかった。
吉治さんの「分かっていても名前で呼んじゃいけないよ。商売も聞いちゃいけないよ」という教えを固く守ってきた。
「十年以上、ほぼ毎日通っていた」という市内の女性(84)は営業最終日の風呂を終えると、「常連さんと話をするのが楽しみだった。皆と会えなくなっちゃうと寂しいですね」と話した。
最終日の二十日は中島さんの中学時代の同級生数人が駆け付け、二十一日未明までシャンパンを酌み交わしたという。
「終わった時は感情がこみ上げるのかと思ったが、まったく普通だった。どこかで(感情の波が)来るんでしょうね」と、しみじみと語った。
県公衆浴場業生活衛生同業組合によると、県内の銭湯はピークの昭和四十年代には四百軒弱あったが、現在は旭湯を含めて四十四軒にまで減っているそうです。
今の時代、一方ではスーパー銭湯などのように、付加価値を高め、集客力の高い施設が人気となっていますが、昔ながらの銭湯がこうしてどんどん無くなっていきます。
川越近辺でも住宅や住民の入れ替わりにより、城下町や下町では当たり前だった、「風呂は銭湯」が前提のお風呂の無い住居などは、ほとんど見なくなったことも要因かと思います。
先日の記事同様、今や文化財的な価値も感じさせる存在になりつつあって、寂しい感じはします…。
この旭湯の跡地は貸店舗として生まれ変わるそうで、市役所の近辺の一等地ではありますから、それはそれは入居希望のテナントは待っているであろうと思います。
駅前再開発などとは違った街並みや、顔ぶれの変化と伴って、小江戸川越も時代と共に表情が変わっていくのでしょう。
坂戸市・鶴ヶ島市・川越市・日高市のお住まい探しや不動産売却・買取のご相談はモモホームにお任せください。お電話かメールでお気軽にご相談ください。
メールでのご相談はこちらから
モモホームHPへ
ブログトップへ